大いなるボケ映画?「R100」と「私の思う松本人志の魅力」

私はダウンタウンの漫才をあまり知らないのだけど、松本人志という人は私の中で「いつも必ず面白い人」というイメージがある。トーク番組で司会をしている時のコメントはいちいち確実に笑えるし「ガキの使い」の視聴者からのハガキを元に浜田さんと二人でトークするコーナーでは飛び出してくる言葉のセンスにいつも心を奪われた。最近だと「IPPONグランプリ」もはずさないなあという印象がある。すごい人っていうか、やっぱり天才だと思っている。
松本人志監督の映画は見たことがないし、松本論を語れるほど松本人志という人のことは知らないけど、そんな「いつも必ず面白い人」が作る映画ってどんなものなのだろうという興味で「R100」を見に行った。9歳年上・松本信者傾向ありの夫と一緒に。

前情報は「大コケ」というネットニュースの評判と「SMを扱っている」という情報と黒田勇樹さんのTwitterの「コントとして見るとすごく面白いんだよ」というコメントの3つ。「R100」というタイトルの意味も考えなかった。

以下、感想。ネタバレします。というか見た人にしかわからない書き方になってると思います。


「ちょっと変なSM映画」だと思っていたら実は「これは100歳の老監督が作ったSM映画の試写で、それを見ている映画関係者が困惑している」という話だったことがわかったところで私は「そういうことなのか!これは面白くなりそうだ!」とすごくワクワクした。
映画関係者の「丸呑みの女王様ってもうSMじゃないじゃないですか!」そう、そうなんですよ!老監督の言う「100歳にならないと理解できない映画」っていうフレーズもツボ。ああ、それで「R100」なのか!という気づきも気持ちよかった。ツッコんでる部分には若干的外れと感じる部分はあったけど、この視点が入ったところで、断然興味がわいてきた。
これでそれまで抱いていた「SM趣味が子どもや職場にばれたらどうなるんだろう?」とかいう不安ももう一切解消。あとは破綻していく物語を楽しめばいい。
どうなるんだろう?楽しみ楽しみ!と思いながら続きを見た。

結果。
私の感想は「誰かツッコミの人呼んできて−!」でした。

どんどん物語がSMだかなんなんだかよくわからなくなって、時代劇やらアクションやら戦争物やらホラーやらいろんな映画っぽい要素が入ってきてぶっとんでいくのは納得はするし、どうやらこの老監督は「巨匠」みたいだから無駄にお金がかかる派手な破綻のしかたをするっていうのもありだし、そうなればなるほどバカバカしくて面白いし、変なSM哲学みたいな要素の入ったエンディングで老監督一人が(性的に?)満足するっていう流れもいいんだけど、私はそれに対する映画関係者の待合室での声(ツッコミ)をもっといっぱい聞きたかった。結局ほんとに「100歳にならないと理解できない映画=R100」を見せられた気分。ある意味エンドロール後に出てくる映画関係者達の「…」の気持ちそのもの。
俯瞰で見ている頭では「すごく面白い」と思えているんだけど、面白いとは言えなかった。

私はどちらかといえば「めちゃくちゃな映画見せられてるのに口出しできない関係者の困惑と苦悩」というところに惹かれてしまったんだよなー。そっちの視点をもっと入れて展開させて欲しかった。

でもそれを一緒に見に行った夫に言ったら「それじゃコントになっちゃう」って言われた。うーん、そうかなあ。コントと映画の違いって何なんだろう。まあ私は映画よりもお笑いのコントライブを多く見ているから、発想がそっちに寄っちゃうのかもしれないなあ。「いっそ待合室のみの舞台コントにした方が面白いものができるんじゃないだろうか」とか偉そうに考えたりして。いや、そのくらい、この映画の発想はものすごく面白いと思ったんです。それだけで、やっぱり松本人志はすごいって思う。そのくらい壮大に面白い「ボケ」だと思った。

この映画をどう考えたらいいかって思っていたところに、こんな感想を見かけた。
松本人志の作品と、それに対する世間の評判をよく知る方の感想として、興味深く読ませていただいた。

『R100』とつっこみー世界の片隅で無駄口をたたく

私がもっともワクワクした映画関係者の場面についての言及。

試写室に訪れた映画関係者の落胆した姿が映し出され、「我々の見ている『R100』が、実は100歳の監督が撮った作品である」というメタ構造が明らかになる。

これが非難の対象となり、「逃げだ」「言い訳だ」と言われてしまっているが、私はそう思わない。これは映画からお笑いへの視点の転換であり、“つっこみ”だ。

そうそう、そうなんです。あれは「つっこみ」だと思う。

ちなみに私は頭からそう思ってたので、あのメタ構造が「逃げ」「言い訳」として非難されているというのが全然意味がわからなかったのですが、
こちらの感想ブログ

この映画の何が腹が立つかって、つまんないものを提示してることを
劇中劇みたいなシーンがあって、具体的につまんないとこを指摘する。
あのね、一生懸命作った結果がつまんないならいいよ。
止むに止まれぬ大人の事情とかあるだろうしさ。
しかしね、つまんないとわかっていて、つまんないものとして提示するって
一体どうゆうことよ!?

(久々の激おこプンプン丸でお送りしております)

この文章でようやく腑に落ちました。
なるほどなるほど。これは「つまらないもの」なんですよ、って言ってるということか。その上で「つまらないもの」を見せられたという。あの場面がそれだけの役割だとしたら、確かに激おこプンプン丸ですよね。書いてみたらすごく当たり前のことだとわかりました。頭悪くて本当にすいません。

反省しつつ、さきほどのブログの引用に戻ります。

第一作『大日本人』で多く指摘されたのが「浜田(つっこみ)の不在」だ。そのため観客につっこみをさせる映画であり私は好きだったが、蓋を開けてみれば賛否両論。いや酷評の方が多かったかもしれない。そこで次作の『しんぼる』でどうしたかというと、より分かりやすいベタなボケに舵を切った。もうこれが目を当てられないほどに酷かった…。それはさておき、第三作『さや侍』ではいよいよつっこみを登場させた。それが主人公・野見の娘で、野見の的外れな行動に分かりやすく指摘(つっこみ)を入れていく。ただつっこみが丁寧すぎて奏功してなかったように思う。

そして今作『R100』では、つっこみを映画関係者という形で映画の枠外に置き、ベタベタにつっこみすぎることもなく、私たちにこの映画がボケであることを示唆してくれる。だからこのシーンは逃げでも保険でもなく、“親切”であると私は思う。

「つっこみの不在」って、私がR100に感じた感想そのまんまじゃん!
相当「親切」になったはずの映画を「不親切」と感じてしまったのか私は。要するに私は「ベタベタのツッコミ」を求めてしまったのかなあ。

ボケであることを表明した『R100』はここからギアを入れ、盛大にボケあげていく。そうなると前半に深読みした人物像、物語の背景は無に帰す。SMの深さがないだとか、ドラマツルギーが足りないだとか、そういった指摘はすべて意味を持たない。これは大いなるボケ映画なのだから。

そしてボケ始めてからの展開が本当にたまらない。映画でも何でもない。いや褒め言葉として。アナーキーで、ナンセンスで、徹底的にくだらない。これからもこの調子で次々と“松本人志の映画”として映像作品を作り上げていって欲しい。

そう「大いなるボケ映画」という点は1000%同意!
一緒に見に行った旦那は「前半のSM描写が浅い」って言っていたけど、私はこちらのブログ主さんの意見を支持します。
映像のトーンが無駄に(?)映画っぽく、こじゃれた雰囲気になってるのも一つの「ボケ」なんだと思う。エンドロールで「伊賀大介」っていう名前を見たときに確信しました。映画とか詳しくない私でも名前を知ってる有名オサレスタイリストじゃないですか。この人に任せときゃとりあえず小粋におしゃれになるに違いないっていう、ある意味「ベタベタの映画っぽさ」をねらったんだなーと。考えが適当すぎて逆に失礼なこと言ってる気もするけど気にしない。

でもその後の展開が「ボケ=アナーキーで、ナンセンスで、徹底的にくだらない」だけだと個人的にはなんだか食い足りないというのか、なんというのか。

「ツッコむんならもっとちゃんとツッコんでくれ!」っていうのが確かに一番大きいんだけど、ボケの方について言えば、唾の女王様が死んだ後の女王様達のインタビューなんてもうあれ映画じゃなくてテレビのパロディーだし、ちょっと適当すぎやしないかと思ってしまった。「前作は風の又三郎」っていうならそういう路線の監督が作った映画として、破綻の仕方になんか反映させて欲しかったなとか。

先ほどのブログ主さんの言葉を借りて「大いなるボケ映画」とR100を表現したとすると、じゃあどんな風にボケてくれたらツッコミなしでも面白いって思えたんだろうかって考えたんだけど、これ考え出すとすごく難しい。「それがわかるならお前が作れ」って話だもん、当たり前なんですけど。

冒頭に「松本人志はいつも面白い人というイメージがある」って書いたんですけど、実は松本人志ダウンタウン)のコントってあまりツボにはまったことがないんですよね。20代のころに夫の持っている「ごっつええ感じ」のDVDを何枚か見たのと、最近の「MHK」を見たくらいの感想ですが。だから黒田勇樹さんの「R100はコントとして見るとすごく面白いんだよ」というツイートに関しては「でも松本人志のコントそんなに面白いと思ったことないからなあ、どうかな」と思ってた。
ただ「MHK」の「古いUFOを匠がリフォームする」っていう設定のコントを見たときには最初に「お、そう来るか!」ってすごくワクワクしたことがあって、その感じはR100のメタ構造がわかったときの感じとすごく似ていたんですよね。残念ながらその後の「思ってたのとちがーう」っていう裏切られ感も似ているのだけど。
その最初の「おっこれは!」って感じが私が感じる松本人志の笑いへの魅力なのかもしれない。うまく言葉にできないけど、私が思う「松本人志っぽい面白さ」っていうのは確かにあるんだよなあ。
夫と感想を話し合ううちごっつええ感じの話になって、DVDを少し見直した。少し脱線するけど、R100の話に戻すので、よろしければお付き合いを。


「世界一位の男」

病気の少年の元に「なんの一位かわからないけど世界一位の男」がやってくる。
「危うく今年は三位になりかけたんだけども、一位だったよ」
となんの一位か明かさないまま順位の話をするっていうのは最高に面白い。こういうのすごく好きです。
でも、見ていくと、出てくる順位の数字が適当って気がしちゃう。八位でも、十七位でも同じ扱いっていうのがなんかちょっと不満。

そう、なんか全体に思うのは「発想は抜群に面白いんだけど、破綻の仕方に構成的な秩序が欲しい」ってところですかね。

でも、いろいろ見ているうちに「松本人志のコントはそうやって見るものじゃないのかも」って気がしてきた。

「殺人事件」

これ最初見たときは「一人目の刑事はもうちょっと普通の刑事らしいこと言った方がいいんじゃないか」とか思ってたんだけど、何度か見るうちに違和感を覚えなくなってきた。構成云々じゃなくて「そこにその言葉持ってくるのか!」っていうぶっとんだ言葉のやりとりを楽しむものというのか。
私がラーメンズからお笑いに目覚め、今はキングオブコメディ東京03のコントが大好物って言うのがあるから、コントを見るときの構えがちょっと違ってるのかもしれないなあという気もする。最初にごっつええ感じのDVDを見た時なんて考えてみれば「お笑い=ラーメンズ」だと思ってたからコントにセットや衣装があることさえ違和感を覚えてたくらいの時期だったからなあ。ぴんとこなかったのも当たり前かも。
松本人志のシュールな世界を楽しむってことかな。シュールっていうとなんかわかったふりしてるような気がしてあまり言いたくないんだけど、今のところ適切な言葉が見つからない。一言で言い表そうとすること自体が間違ってるのかもしれない。思いがけない発想や言葉がぽんぽん飛び出してくるびっくり箱みたいなコント。天才にしか作れないびっくり箱。

で、これを楽しめるようになってみて、私の思う「アナーキーで、ナンセンスで、徹底的にくだらない」ボケってこういうことかなって気がした。うーん、だとするとこの感じで映画の尺見せられるのは辛い気もする。ライムスター宇多丸さんがR100評で「30分くらいの尺にしたら…」みたいなこと言ってのはそういう意味かな。

「ツッコミで笑いたい」っていう私の好みなのかもしれない。とも思ったけど、そういえばバカリズムとか鳥居みゆきとかはツッコミなしのピン芸人だけどすごく面白いぞ。あれはどういうことなんだ。
…。
そんなことまで掘り下げたら自分の思う「笑いとは」みたいな話になって収集つかなくなりそうなのでこれは置いておくことにしよう。


なんかもうわからなくなってきたので、松本人志ご本人は何を思ってこの映画を作ったのかを見てみることにしよう。とインタビューをいくつか読んだ。

ここのこんな話。

松本:僕はお笑いで名を売った人間なので、映画を撮っていても、みんなお笑いを求めるんですよね。でも、僕は1回も自分の映画をコメディーだと言ったことはないし、笑わせますとも言ってない。そういう意味では、『R100』では特に映像から色を抜くことにこだわったんですよ。それにはいくつかの理由があるんですけど、大きな理由の1つとしては「コメディーじゃないよ」って言いたかったから。コントっぽくないもの、生っぽくないものにしたかったんです。

「笑わせますと言ってない」と言われたらもう何も言えないんだけど…。じゃあどういう気持ちにさせたかったんだろう。やっぱり「…」な気持ちにさせたかったんだろうか。
別にゲラゲラ笑いたかったわけじゃないんだけど「おっこれは面白くなる!」っていうワクワクがすごかったからなあ。

こっちのインタビューの、

 出演者にも「これはコメディーではない」と繰り返し説明し、「オカルトに近い感じ」で「特に前半はシリアスに、ふざけず、真面目に破綻させる」ことを心がけた。だが、物語は、ある仕掛けが明かされる中盤から暴走していく。

 「あえて監督の僕が言いますが、これはひきょうな映画でもある。めちゃくちゃにした責任を全部、僕がかぶりたくなかった。逆に言えば、本当にめちゃくちゃにするためには必要な仕掛けだったということです」

ああ、監督ご本人もあの「仕掛け」は「ひきょう」っていう認識なのね。んー。だとするとちょっとずるいかなって思ってしまう。「本当にめちゃくちゃな」ものを見せていったいどうしたかったんだい!って問い詰めたくなる。


うーん、とにかく「私の思う松本人志」「私の思う面白さとは」っていうのを散々考えさせられた映画ではあった。

ライムスター宇多丸さんがR100評で言ってた
「作品自体がと言うよりは、触れる人を思考に向かわせる吸引力」
というのが至言かな。

だってあれ見てから、うちは夫婦で「松本人志の面白さとは」でもう合計30時間くらいは語ってると思う。そんな映画そうないよ。ブログやTwitterでも「3.11以降を描いたのがいい」「あの主人公は松本人志自身」「あの老監督は松本人志自身」とか私が思いもつかなかった感想をいろいろ見た。みんながそれぞれの思い入れを持って見て、なんだかんだと好き勝手言うことも含めて、この映画の楽しみ方なのかもしれない。「後からDVD」じゃなくて、リアルタイムで映画館に行って騒ぎにのっかることまでが映画!バナナはおやつに含まれます!次回作見に行くかって言われたら、ちょっと考えますけど、これはこれで他では得難いとても面白い体験でした。