コスモスの影にはいつも誰かが隠れている 藤原新也

フリーペーパーに連載されていたということもあってか、とても読みやすい。ぼんやり目で追っているだけでもするすると文章が頭に入り、情景が頭に描かれる。そして物語の展開に気づくと引き込まれている。
次の短編を読み始めようとすると頭を切り換えるのに少し時間を要するほど、ひとつひとつの物語に深い世界がある。それは、緻密に書かれているからというより、むしろ簡潔な表現にとどめ極限まで「書かない」ことにより、読者の頭の中にそれぞれのリアリティを持った情景を描かせていることによるのではないかという印象を持った。
心の底で会いたいと思っていた人との「偶然の」再会や突然の「根拠のない予感」の的中。幻影(?)からのメッセージによる物語の展開など、ちょっと引いて考えれば「そんなうまい話があるもんか」とも思えてしまいそうなストーリーなのに無理を感じさせないのは、この率直で無駄のない語り口によって、私の頭の中に私なりに色づけされた物語がしっかりと根を張り、思いがけない展開を登場人物と同じ気持ちで感じて、驚いたり喜んだり悲しんだりしているからなのかもしれない。


ふと、私にこういう不思議な運命としか言いようのない出会いや出来事はあっただろうかと振り返ったら、ひとつ思い出したことがあった。

10年ほど前、私はある資格試験の勉強をしていた。わからないことをネットで検索していたら、同じように勉強をしている人たちがあるサイトに集まって、知恵を出し合って過去問を解いたり質問をしあったりしてウェブ上の勉強会のようなことをしているのを見つけた。それはとても参考になったし、たぶん私が資格を無事に取れたのはあのサイトのお陰だと思っている。
そして、資格が取れたということを高校時代からの友達に話していたら「うちの旦那もその資格を取ろうとしていてホームページを作っていて」という話になり、散々お世話になったそのサイトを運営しているのが友達の旦那さんだということが判明した。
彼はその資格とは別の仕事をしているのだけど、資格を取りたくなって、それならいろんな人の知恵を借りるのがいいと考えてサイトを立ち上げたのだそうだ。その行動力や人を集める能力には感心するしかない。

ただ私の場合は、その旦那さんという人が関われば関わるほど嫌いなタイプの人間であると言うことがわかってきて、有用なサイトを作ってくれるからと言って人間的に好きになるのとは全く別の問題なのだということと、大好きな友達の選んだ人だからと言って好きになれるというわけでは決してないのだということと、世の中にはここまで嫌いだと言い切れる相手というのもいるのだなということを思い知っただけで、物語にも何にもなりゃしないのであった。はあああ。