「文体」をさがして

大学の時に論文を書いてて指導教官から「用語の統一が出来ていない」と言われたことがある。同じ意味を表すのに複数の言葉を使っているということだ。

Twitterをやっていても、例えば「『夫』と呼ぶか『旦那』と呼ぶか」に始まり「『星野源』と呼ぶか『星野源さん』と呼ぶか」「『夢を見た』か『夢を見た。』か」「『思った』か『思いました』か」などの細かいところがツイートごとにしっくりくるものが違っていて、一連のツイートに統一感がない。

他の人のツイートを見ていると、例に挙げたようなちょっとしたところにその人らしい「文体」があるような気がして、自分の「文体」って何なんだろうとなんとなく悩んでいた。

でも、Twitterでいろいろやりとりさせてもらっているうちに、だんだんそういうことはどうでも良くなってきた。当たり前だけどみんな「どういうことが書いてあるか」で反応を返してくれるのだ。文体に反応してくれているわけじゃない。

そう思うようになってから、少し気楽にTwitterで遊べるようになってきた。遊べるようになると、いつのまにか自分の書き方みたいなものが自然と出てきたように思う。それが「文体」と呼べるものなのかどうかはわからないが。

ぴったり来る言葉が見つかるまでツイートを手直ししたり、誤字があっただけで消したりすることも多かったんだけど、最近は「まあだいたい伝わればいいか」くらいに思っている。いや、時々我慢できなくて消してツイートし直してしまうこともあるけど、基本的にはそう思うようにしている。ツイートなんてどんどん流れていくものなのだから、いちいちこだわっても仕方ないと割り切らなければやってられない。

でも今のところ、ブログは何度も手直ししてしまう。ブログは自分のホームって思っているし、だからこそ出来るだけ自分の気に入った文章が並んでいて欲しいって思うから、納得いくまで好きなだけ文章をいじりたい。本当は納得いくまでいじってから投稿するべきなんだろうけど、人目に晒してみて「これは第三者が読む文章なんだぞ」と実感して初めて気がつくことが結構あったりする。これはまだ私が長い文章を書き慣れないからなのだろう。Twitterがそうだったように、書いているうちにもうちょっと気に入った文章が一度で書けるようになるはず。そう思わないと悲しいからそう思うことにする。

そういうわけなので、過去記事をちょこちょこ手直しし続けると思うけど、これはもう「うまいこといいたい病」なのであまり気にしないでください。興味があったら読んでやってください。