「ツイートが見える」は常識か?

Twitterというツールの使い方は本当に人によって様々だと思う。
私はフォローもフォロワーも1000人くらいのアカウントと、ある限定されたテーマでの100人くらいのアカウントを持っているが、前者は雑多な情報がずらずらと流れてきて、目についたものに適当に反応している(何人か親しくやりとりしている方もいるが、誰だっけこの人っていうのも結構ある)のに対し、後者は完全に相互フォロー同士のお付き合いの場になっている。フォロワー同士も皆同一のテーマで相互フォローの関係になっているので、タイムラインにフォロワー同士の会話がいくつも流れてきたりして、小さな部屋に集まったもの同士がそれぞれに会話しているのが聞こえてくるような感じでいろいろ筒抜けだし、横から会話に入るのも自由だ。リプライすら飛ばさずに「○○さーん」と呼びかけて「呼んだ?」と返事が返ってきて会話を始めている人もいる。
芸能人やフォロワーの多いネタ系アカウントの人は知らない人からリプライをもらうのなんて日常茶飯事だろうし、そういう人だとまた微妙に使い方が違うのだろう。

それはまあ、人それぞれでいいのだが、この前、使い方云々の問題でなく、Twitterの常識ってなんだろうと思わされる事案に遭遇した。

それは夫の書いたあるドラマに関するブログが発端だったのだが、主演俳優の演技について少し批判的なことを書いたところ、その主演俳優のファンらしき方からリプライが来たのだという。それはそのドラマや主演俳優を別の角度から見ることを示唆する礼儀正しいリプライで、夫は新しい視点を得ることができて有意義だったと言うし大変結構なことであると思うのだが、問題は、夫がその人のツイートを見てみたところ、その人が夫へのリプライ以外では自分のフォロワー達と夫の悪口を言いまくっていたということにある。
リプライは完全に丁寧で礼儀正しいのに、同じツイート上で夫に悪意あるあだ名までつけて罵りまくっている。夫のHNが「けんたろう」だとすると「大まぬけんたろう」みたいな感じだ。
「大まぬけんたろう(仮)に〜って言ってきてやった!」→フォロワー「よくやった!えらい!」
「これで彼(主演俳優)の良さがわからないなら完全に大まぬけんたろう(仮)だ!(キリッ)」
「大まぬけんたろう(仮)は全然わかってない、あれの元ネタは〜じゃなく…だ!(ズバッ)」
とかなんとか。その人の言葉だったかその人のフォロワーの言葉だったかもう定かじゃないが、とにかくいろいろ。

直接夫に対するときのギャップからするに「陰口」を言っているつもりなのだと思うのだが「自分のツイートは鍵をつけるかブロックしない限り誰からも閲覧可能」というのはTwitterの常識ではなかったのか…。夫以外の人との会話だってちょっとたどれば全部見えちゃうのに。その人も、会話しているフォロワーも「陰口になっていない陰口」で盛り上がっている。
「意見を発信するなら批判を受ける覚悟でやらなきゃダメだよね!」的なことも言っていて、そこまで堂々と言われるともうなんていうか「あなたたちの悪口も『発信』されているわけですがそれについてはどうお考えで」と言うこともはばかられるような気がしてくる。

その人はその後も夫のブログやツイートをチェックしているようで、そのドラマが放送されると「大まぬけんたろう(仮)息してる?」などと言っているので、夫のツイートを見ているのではないかと思われるのだが、他人のツイートは見えるのに自分のツイートは見えないと思っているのであろうか。まあ、この点についてはハッシュタグだけでツイートを追っている可能性もあるのでちょっとわからないのだが、人のツイート一覧表示画面というのを見たことがないのか不思議でしょうがない。

夫は「悪口見てますよ」という意味で悪口ツイートをお気に入りに入れてやろうかとも考えたようだが、そういうお気に入りの使い方はなんかいやらしい感じもするので夫婦で協議の結果、そっとしておくことにした。そのドラマが放送されるたびに夫は一生懸命感想をツイートしブログに書き、その人は「大まぬけんたろう(仮)はやっぱり大まぬけ(仮)だ」と一蹴し、夫は何か言ってやりたくて身もだえしている。そして私はその様子をウオッチするという片足突っ込んだ感じのネットウオッチを楽しんでいるのだが、そのドラマもあと一回で終わるようで、とても残念だ。
最後に「大まぬけんたろう(仮)隣にいます。大まぬけ(仮)ですが息はしてます。元気です」とか私がいきなりリプライを飛ばしたらどうなるんだろうとか、考えるのも楽しいのになあ。いや、しないですよ。しないですけど。したいですけど。したいですけどおー(うずうず)。