「握手会」って難しい

昔から大好きだった岡村靖幸が代官山で握手会を開催するというニュースを見たとき、私が最初に思ったのは「東京の人いいなあ、私も握手したいなあ」ではなく「うわあ気になるけど行きたくないなあ」だった。
パーケンさん言うところの「近づきすぎている!」だ。
「近づきすぎている!」とはパーケンさんことキングオブコメディ高橋健一さんが、大好きなももいろクローバーZとの関係を指して言った言葉で、詳しくは別エントリにも書いたのでダブるところもあるのだが、パーケンさんは、ももクロのメンバーとハイタッチが出来るというイベントについて

遠目に見る分にはいいですよ。
実際に会うのとはちがうじゃないですか。
誤解を招く言い方かもしれないけど、会いたくないでしょ。

と語っている。
そう「会いたくない」。
これを強烈に感じた出来事が、私にはある。

昔私はある歌手のファンクラブに入っていた。もちろん札幌のライブには欠かさず通い、その人の作品はすべて購入し、ファン同士のオフ会にも行っていた。その人がライブで作り出す独特の世界が、私は大好きだった。
ある日、その人が、全国のいくつかの温泉地でファンクラブ会員限定の宿泊イベントを開くという知らせが届いた。その温泉地の中には我が街北海道の登別温泉も含まれていた。私は狂喜し、そのイベントへの参加を決めた。参加費用は三万円くらいだったと思う。
そのイベントには浴衣の着用が義務づけられていた。私はとっておきの浴衣と帯を用意し、当日まで何度も着付けの練習をした。

そして迎えたイベント当日。登別温泉のホテルの、浴衣姿のファン達が揃う宴会場に現れた、やっぱり浴衣姿のその人は、歌いながら近くのファンと握手を交わしながら小さなステージに上った。
いつものライブ会場よりもずっとずっと大きく見えるその人の姿に、私は興奮していた。興奮していたけどライブのようにその人の世界にまっすぐ深く入り込んでいくのとは違う、一人の人間としての普段のその人を見ているようで、でも絶対にそうではないという、不思議な違和感を、同時に感じていた。
そしてその宴会内で行われたビンゴゲームで、私は見事ビンゴを出し、その人から直接賞品を受け取る権利を得た。ドキドキしながらステージ前にとっておきの浴衣姿で進み出る私。賞品を手渡され、生まれて初めての芸能人との握手。

でもその人の手に触れたとき私の胸にあったのは、嬉しさと興奮とともに「だからなんなんだ」という身も蓋もない思いだった。
数秒手が触れる。目が一瞬合う。「ありがとうございます」と言う。それだけのことだ。とっておきの浴衣だって、見てるんだか見てないんだかわからない。いや、見るかもしれないし「悪くない」と思ってくれるかもしれないけど、それはただ、それだけのことだと私には思えた。「だからなんなんだ」。
これ以上なく近い距離にいるその人を前に、私はその人にとって「一人の他人」であるという当たり前すぎる事実をこれ以上なく感じていた。その軽く触れる手の感触は、私にその人との果てしない距離を思わせた。

イベント中に何かトラブルがあったのか、その人は握手の直後に舞台袖のスタッフを見て、なにやら指示を出すなど、ちょっと気がそぞろな感じだった。
ファンサービスとして、そんなその人の態度に問題があったと思う人もいるかもしれない。でも、その人が私の前でスタッフに指示など出したりせず、今時のアイドルの握手会のように両手で私の手を強く握り、目線をこれでもかというくらい合わせて「今日はありがとう!」と嬉しそうに言ってくれたら違ったかというと、たぶんやっぱり私は、全てを終えてその人が私から目をそらし「次」のことを考え出す瞬間を思ってしまったと思う。「随分ファンを大事にする人なんだな」という好感は残ったとしても。

その後5〜6人のファンとその人との記念写真の撮影会もあり、私は運良くその人の真後ろを陣取ることが出来たのだが、ライブでは絶対見られない距離とアングルでその人の後頭部を見ながら思っていたのはやはり「だからなんなんだ」ということだった。
写真を撮るときの、スタッフの人の「はい次待ってるからさっさと動いてねー」と言わんばかりの流れ作業的な態度も、ライブ会場よりもずっと人数は少ないはずなのによそよそしさを感じさせた。ライブでは味わったことのない感情だった。

泊まったのは数人のファン同士の相部屋だった。その人の好きなところを語り合ったりするのは楽しかったのだが、「○○さんはどこに泊まってるんだろう、部屋に来たりしないかなあ」などという話題になると、そんなことを想像すること自体が何か馬鹿馬鹿しかった。
ファン同士の飲み会の席で「もし○○さんが自分の部屋に来たら…?」という妄想を膨らませるならいい。たぶんそれなりに楽しい。でもそうじゃない、物理的にならあり得なくない距離感の中で、ほんの少し、本気の期待を抱いてしまう、でももしそうなったとしてそこで何をする?せいぜいキャーキャー騒いで、みんなで握手をして「好きです」とか言うことくらいだろう。その人はきっと「ありがとう」と言って、次の部屋へと移動する。
「だからなんなんだ」。

できることなら好きな芸能人の「特別」になりたい欲があるから、こんな気持ちになるのだろう。いや、特別っていうのはちょっと違うかな。別に抜きんでたいとかそういうことじゃなく「親しさ」を感じたいというのかな。その人に特別に思って欲しいという気持ちがないといえば嘘になるが、それよりも自分がその人に対して親しみを持っていたいんだ。別に一人で夢見ているだけでいい。ライブならそれが満たされる。それなのになまじ一対一で物理的な距離が近い状況に置かれるから「まあ他人なんだよな」ということを思い知らされる。高いお金を払って得たのはそんな感情だ。
ライブ会場よりも大きくその人が見られる、それだけでも特別な経験だった。でもいざその場に行ってみたら私にとっては、大きなライブ会場で見る小さなその人の方が、ずっとずっと親密で、身近な存在だと思えた。その人が全力をこめて作り出した世界で、せいいっぱいのパフォーマンスを見せる、その姿を見ている方が、私は「その人を見ている」更に言えば「その人の心を見ている」気持ちになれた。

私はそのイベントを機にファンクラブを辞めた。今でもその人のことは大好きだ。幸いというかなんというかは微妙だが、ファンクラブに入っていなくてもライブのチケットは取れるため、今でもライブには欠かさず行っている。でもあのイベント前の気持ちとは、何かがだいぶ違っている。

握手会はファンクラブイベントのようなプライベート感の演出はないし、個人的に多少のメッセージも伝えられるという意味では少し性質が違う。でもやっぱり私は岡村ちゃんの握手会には「行きたくない」。今度はその「メッセージを伝えられる」ということが新たな足かせとなるのだ。
言いたいことなんて「好きです、大好きです」ということしかない。いや言い出せばいくらでもある気もするけど、私にはそれを上手く言葉に出来そうにない。思いが強ければ強いだけ、言葉にするのは難しい。しかも私は「うまいこと言いたい病」で言葉を選ぶのにああだこうだとすごく悩む。もし伝えられるなら、少しでも岡村ちゃんの心に届くようなことを言いたいという欲もある。短時間でそんなうまいこと言うのは私にはたぶんできない。もうそんな難題、考えたくない。どうせ思いの丈は伝わらないんだし、好きならライブに行けばいいじゃないか。
「握手会」とか「サイン会」のあの流れ作業的な感じもなんかよそよそしくて寂しい。ライブの「一回の一対大勢数時間」の関係性と、握手会の「何十回の一対一数十秒のうちの一回」の関係性なら、わたしは前者の方が素直に楽しむことが出来る。
行列に並んだ末に自分の発する月並みな言葉と、もらえるであろう「どうもありがとう」という言葉と目線と握手。近いようで果てしなく遠いその距離。
うーんでも、札幌でやるんだったら「こんな機会を逃すのはもったいない」という思いからやっぱり行っちゃうのかもしれない。ファンクラブイベントと違ってお金もそんなにかからないし。あの岡村ちゃんが原寸大で見られたらやっぱり興奮するかもなあ。それで十分って思えるのかもしれないくらいに。でもやっぱり、心のどこかには思いを伝えきれない不全感と寂しさを抱いて会場を後にするような気がする。

今私はお笑いが好きになり、何より「いつか(あるいは、また)札幌に来てください!」と心から言いたい芸人さんがたくさんいる。ファンクラブイベントに行ったあの人よりも、岡村ちゃんよりも、ライブの規模はずっと小さくて、たとえ札幌に来てくれたとしても、次はないのではないかという切実さがある。だから「また来てください」と伝えることは、月並みでもいいから、出来ることなら伝えたいと思う、心からのメッセージだ。
だから、そういう人にはどこかでそれができたらしたいとは思う。
でも「握手会」と言われると、岡村ちゃんのことを考えたときと同様、ものすごく複雑な気持ちが渦巻くのだ。
芸人さんのライブに足を運ぶ。「グッズを購入すると握手会に参加できます!」と言われる。
グッズは買ってもいい。でも買うと握手会参加の権利を手に入れてしまう。手に入れたのに握手会に参加しないのはもったいない気がする。でも参加すればまたあの葛藤と戦うことになる。どうせなら「また来てください」以外のことも言いたいけど、この時間内で上手い言葉を探すのがすごく難しい。そんなことで悩むなら並ばない方がいいかもしれない。でも権利を手に入れた以上は行使したい。でもそれを並んでまで…待ってるとき「何言おう何言おう」って焦るんだろうなあ…そんなことを考えるくらいならライブの余韻に浸っていたい気もするし…応援メッセージが言いたかったら後でいろいろ考えてからTwitterとかで言ってもいいしその方が形に残るし多少長いことも言えるし…並んだ末に「月並みなことしか言えなかった」という思いを抱えて終わるくらいなら…。
そんなことをぐちゃぐちゃ考えた末、グッズも買わずに会場を後にすることがある。
芸人さんにしてみたらグッズを売るため(というのも身も蓋もないですかね)握手会を開いているのにそのせいでグッズを買わない客がいるのはどういうわけだと思うだろう。しかしファンの中にはこういう考えすぎのファンもいるのである。本当に申し訳ない。握手会みたいなことをやらない賢太郎さんとかの方が衒いなくグッズ買えるもんな。思いは複雑です。

パーケンさんは「会いたくない」と言っていたけど、アイドルの握手会に参加する人ってどんな気持ちなんだろうな。行ったことないけど、たぶん暴走を防ぐためスタッフが張り付いてて「はいそこまでー次の人−」って流されるんだろう。その「流れ作業」感ってすごく虚しくはないのか。私みたいな葛藤は感じないのか。そういうことじゃなくて本気で「自分のことだけを見てくれている!幸せ!」っていう思いに浸るのか。単純に「手が触れて顔が見れて嬉しい!」って感じなのか。心からそんな風に思って握手会を楽しめる人が、うらやましいような気もする。でも少なくとも私が「握手会参加のためにCDをいっぱい買う」という行為にだけは走ることはないだろう。