聞かれたいのだ

私はけっこうよく人から道を聞かれる。「札幌駅はどっちですか」というオーソドックスなものから、「医学書の充実した本屋ってどこですか?」「この辺でおすすめのラーメン屋さんあります?」などというマニアックなものまで様々な質問があった。私がイヤホンを耳に入れていてもお構いなしに聞いてくる。もちろん親切な私は全力でその質問に答えた。本屋に関しては、当時ロフトにあった紀伊國屋を教えてあげたし、ラーメン屋に至っては、いったん知らないと言った後、ふと思い出してその子達(修学旅行生だった)を追いかけて店を教えてあげたほどの親切さだ。地図を読むのは得意ではないが、道を教えるのは結構楽しい。手軽にいいことをしたという気になれる。
最近は学生の頃ほど道を聞かれなくなった気がする。観光案内所などが整備され、そこらの通行人に道を聞こうという人が減ったのだろうか。私が昔より柄が悪くなったのだろうか。私の方は親切に道を教える気満々なのだが。
私は人に道を聞こうと思ったことがないのでよくわからないのだが、私なら人の良さそうなおばちゃんを選ぶような気がする。おばちゃんと言って差し支えのない年齢になった今、あと必要なのは人の良さそうな雰囲気だ。どうすればいいのだろう、「道教えます」という看板を背負って歩くという手もあるが、それだと万一道がわからなかったときに責任問題に発展する危険性がある。あくまで一般の通行人としてわかる範囲で道を教えたいのである。皇族のようにいつもほほえみを浮かべていればいいのだろうか。一歩間違えれば不気味に見えそうな気もするが、にこやかな雰囲気は大切ではないだろうか。不気味に見えない程度のにこやかさ。そのバランスが難しい。道を聞かれるのも楽ではないのである。