ためらいの倫理学
- 作者: 内田樹
- 出版社/メーカー: KADOKAWA/角川書店
- 発売日: 2003/08/03
- メディア: 文庫
- 購入: 3人 クリック: 52回
- この商品を含むブログ (102件) を見る
現代思想のセントバーナード犬(難しい現代思想を読みとくのを助けてくれる)の本さえ難しいなーと思ってしまう自分はもう、遭難するしかないんだろうか・・・。
「クリアカットな言論に飛びつかず、「ねじれ」「いたたまれなさ」を意識する」「偉そうなこと言ってるけど自分も当事者だからバイアスかかっちゃってると思うんだけどねーだからそのバイアスっていうのは・・・と考え続ける」ことが大切だってことは言っている気はしたんだけど。
読んでいてふと思い出したこと。
大学生の時、初対面の人も多い飲み会の席である男子Aがゲイなんじゃないかという話になぜかなって、そのときの男子たちの話が
「Aはゲイ→一緒にいたら襲われるかも?やばい!」
と自然に流れていったのに違和感を覚えた。
Aがふざけて「襲うぞ!」とか言ったのならまだわかるのだけど、A本人は物静かな人で、肯定も否定もせずにただ笑っていただけだった。そのときのメンバーはお互いに相手のことをよく知っているわけじゃなかったから、Aが本当にゲイだって可能性も0ではない。大げさかもしれないけど、私はそういう状況でそんなことを冗談でも言ってはいけないような気がした。
もし本当にAがゲイだったとしたら「誰がお前等なんか襲うかよ」と内心彼らを嘲笑していただろうと思う。相手がゲイだってだけで自分たちに襲われるだけの価値があると考えるなんて、自意識過剰の女子と一緒じゃないか。
(ちなみにそのときの「彼ら」のなかには私の夫も入っていたので、後日そのことを夫に聞いてみた。夫の答えは「男は襲われる対象になる自分というものを考えてみたことがないからなあ」というものだった。)
私にゲイの(と私が知っている)知人はいないけど、目の前にいるこの人が「ゲイかもしれない、ちがうかもしれない」ってわざわざ考えはしないまでも、可能性を留保しておくのは大切、というかそれが想像力ってものなんじゃないだろうか。たぶんそれはこのことだけじゃなくて、あらゆることに当てはまる。その人のことを決めつけて考えないことから、対話は生まれる。
なんて、会話下手の私が頭の中で考えただけのことなんだけど。机上の空論。