愛撫・静物

愛撫・静物 庄野潤三初期作品集 (講談社文芸文庫)

愛撫・静物 庄野潤三初期作品集 (講談社文芸文庫)

「噴水」の不気味な感じが心に残った。

この時期に私は恋をした。相手は同じ勤先にいた年下の少女であった。

私の妻は、私の上に起こったあまりにも烈しい変化に驚き、それをみていてどうすることも出来なかった。魂の抜けた人のようになって家に帰ってくる私をみていると、そのようにして夫を不自由な、苦しい目に会わせているのは自分がいるからであり、自分がいきていることがすべての状態を悪くしてゆくのだと云う風な考え方に彼女は追い込まれていった。

彼女は鉛筆のしんを削るようにして自分の生命を削って行き、やがて心細さに堪え切れなっくなって或る夜、自ら命を絶とうとしたのであった。

妻の自殺未遂があっても浮気をやめない妻。その妻が興味を持つ近所の夫婦のことを、夫は「ずっと後」になって知る。

妻が一年もの間、その夫婦のことを私には云わないで自分ひとりの心の中で見つめていたというのが、既に私に対する無言の非難であった。

その頃、私は何をしていたか。

死を選ぶより外ないまでに妻を追いやった私でありながら、カタストローフの一歩手前で助かったのをいいことにして、未練がましく、その恋を思い切ることが出来なかった。

私はこんな風な男であった。妻が受けた傷口の深さから目をそむけて、そんなことはお構いなしにやれる男であった。

おしまいには、不如意な恋に疲れてしまって私はその少女と別れたのだ。

その間、妻は私のことを何とも云わなかった。この沈黙は、忍従ではなく幻滅を意味していたようにも思える。

不安や悲しみに彩られた夢をこの間に見たことも、妻は「永い間」夫に話さない。語られている時点の夫婦の関係は不穏さを含んでいる。

しかし「永い間」が過ぎた「ずっと後」には夫は妻の口からこの話を聞くことができているのだ。「静物」のような平穏な生活がこの夫婦にも訪れたことが暗示されているのではないかという気がする。夫婦とは、大きな悲しみを含みながらも静かに続いていくことができるものなのだと、私が信じたいだけなのかもしれないが。