プールサイド小景
- 作者: 庄野潤三
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 1965/03/01
- メディア: 文庫
- 購入: 4人 クリック: 30回
- この商品を含むブログ (49件) を見る
プールサイドにしゃがんでいる二人の目の前で、ヨットはしばらく不慣れな様子で水の上にためらっていたが、そのうちにあるかなきかの風の動きを敏感に捉へて、スーッと走り出した。
から「プールサイド小景」の冒頭の
プールでは、気合いの掛かった最後のダッシュが行われていた
へのつながりがまずよかった。アルバムの曲と曲が心地よくつながるときの感じに似ている。
私が読んだのは図書館で借りた昭和30年刊行の単行本だが、文庫などでもこの順序は保たれているのだろうか。
「プールサイド小景」の夫は突如会社を首になってしまう。今ならリストラということばもあるが(この夫の場合は会社の金の使い込みが原因なわけだが)、当時であれば突然の失職は今以上の一大事だろう。失職を機に妻は夫の知らなかった会社での姿や思いを発見していく。そんな夫に不信や疑いを抱きつつも、最後は「帰ってきてさへくれれば・・・」という祈るような思いへと変わっていく。
夕風が吹いてきて、水の面に時々こまかい小波を走らせる。やがて、プールの向こう側の線路に、電車が現れる。勤め帰りの乗客たちの眼には、ひつそりしたプールが映る。いつもの女子選手がいなくて、男の頭が一つ水面に出ている。
というラストは印象的。妻がようやく知ることとなった夫の孤独感を表しているようだ。しかし他の作品を含め作者の描く家族の姿はいつもさりげなくも強い絆で結ばれている。「夕べの雲」や「桃李」「伯林日記」のように。
「帰ってさえ来てくれれば」と願うことのできる妻と、何かに怯えながら会社勤めを続けていたことを遅きに失しながらも妻に語れる夫。妻の睫毛の愛撫はプールに立つさざ波のように淡く優しい。何があろうときっとこの夫婦は再生していけると感じさせられた。