猫が死んだ次の日のこと。

15年生きた猫が死んだ日、私はほとんど泣かなかった。すでに覚悟はしていたし「ペットは自分の人生を通り過ぎていくもの」と思っていたからだ。涙ぐむ夫にも達観した調子でそう話した。

翌日、子猫の時代を一緒に過ごした昔の恋人にそのことを知らせた。彼からは付き合っていたときからは想像も出来ないような過不足のない、礼儀正しい返信が返ってきて、私は急に寂しくなった。彼と過ごした時間はもちろん、猫と過ごした時間も、もはや通り過ぎてしまって私の心の中にしかないのだと急に気がついたのだ。「誰かが自分の人生を通り過ぎてしまう」ことの悲しさに昨日の私は気づいていなかった。

私は昨日一日猫の亡骸を安置した部屋に入った。生前猫がいたことなどほとんどなかった部屋なのに、確かに猫のにおいがした。

通り過ぎてなど欲しくなかった、生きていて欲しかった。いつまでも柔らかであたたかな身体でいて欲しかった。感情が一気に襲ってきて、私は声を上げて泣いた。

しばらくするとメールの受信を知らせる着信音が鳴った。メールは先ほど礼儀正しい返信を送ってきた昔の恋人からで、猫の写真があったら欲しいとそこには書かれていた。

一匹の猫が自分の人生を通り過ぎたことを悲しむ人がそこにもいることを、私は知った。

ドライな自分を気取った昨日の私に、少しは泣いてよ、そんなに怖いのなら救いもちゃんと用意するからさ、と猫が言ったような気がした。