タニザキさん

マリコがまだ入院していたころ、二人きりの時を見計らって
「タニザキさんが全然私の話を聞いてくれなくて自分の話ばかりするのが本当にストレスだった。アベさんが入ってくれてよかったと思ってる」
と言ってきた。その時はよくわからなかったのだが、確かにタニザキさんは人の話を聞かないで自分の話ばかりする。せめてそれが面白かったらいいのだが、他人が全く興味のないような些末なことを「私の場合はね」と割り込んで話すので、遮られた方はむかっと来る。距離を置いて見れば、その言動は、自分の日常的な判断が妥当なものかどうかを相手の反応から推し量ろうとしていると思えなくもない。つまり自分の判断に自信が持てないということだ。タニザキさんの話を黙って聞いていると、たいてい暗い過去(デイケアでいじめられたとか、元の彼氏のことをまだひきずっているとか、自分がとても太っているとか)の話になり、負のスパイラルに陥り話すことでどんどん気分が落ち込み、挙げ句の果てに泣きながら頓服を飲んで寝込んでしまうことになるから、自己評価がたいそう低いのだろうと思う。
私はそんな人と積極的に仲良くなろうとはやっぱり思えない。人付き合いに長けたヨシオカさんとマリコだったから何とか友達として成立しているのであって、他の人ならまず深いつきあいはしないんじゃないかと思う。タニザキさんは要するに相当甘やかされているのだ。その辺の自覚が当然ながらタニザキさんにはなくて、ふたりと仲良くなったからと言って、自分に社交術が身についたわけじゃないんだよ、相手が親切なだけなんだよと言ってやりたくなる。
私だって最初はタニザキさんに対して、自分の言動に自信を持って欲しくて「そう思うのは当然ですよ」とか「私だってそう思います」と共感してみたり、落ち込む話題に入らないよう一生懸命話を振ったり自分も負けじと話をしたりと関係を良くする努力はしていた。しかし全く変わる気配もないタニザキさんの態度は私の意欲を少しずつ、でも確実にすり減らせ、今や完全に意欲はマイナスである。
つまり今は、正直言ってタニザキさんとは話をしたくない。顔も見たくない。タニザキさんの言動全てが高慢で甘ったれているように聞こえる。今は話しかけられたら最低限の返事だけをし、二人きりになりそうなときは露骨に席を離れたりしている。
しかしタニザキさんは私のそんな思いに全く気づいていなくて、他の「仲間」と同じように私に懐き、自分の好きなタレント(SMAPの香取くんだ)の写真を携帯で検索し「こういうのが好きなんですよお」なんて嬉しそうに見せてきて私を苛立たせる。
ヨシオカさんが先に退院して、タニザキさんと二人残されたらと思うとぞっとしたが、幸いにしてタニザキさんは、ヨシオカさんの一日前に退院する。ヨシオカさんが最後までタニザキさんの面倒を見てくれるだろう。しかしタニザキさんは私に子どももいなくて暇であることを知っているから「こんどお茶しませんか」なんて書いた手紙を渡してきて「迷惑じゃなかったですか?」などと無邪気に聞いてくるのである。人が不快に思っていると言うことを察する感度がないのは幸いなのか不幸なのか。ヨシオカさんとは仲良くしたいのだが、もうあきらめて残りの日々はあの椅子に座るのを辞めた方がいいのかもしれない。