心の中にある廃墟

廃墟マニアという人たちが世の中にはいる。
人気のない廃屋や使われなくなって何年も経つ病院や学校など、出向いて行っては鑑賞したり写真を撮ったりして楽しむのだ。インターネットで探せばその手の人たちが撮った廃墟の写真がいくらでも出てくる。
私はわざわざ廃墟に出向いたりはしないが、写真を見るのは好きだ。静かにひっそりと朽ちていく建物には、何とも言えない魅力があって、見ていると時間を忘れる。
本物の廃墟を見たことはないが、行ったことも見たこともないのに心の中に確かに存在する廃墟がある。
札幌駅の駅ビルの地下には、かつて映画館があった。地下鉄の改札口の斜め向かいに階段があって、降りたところに入り口があったはずだ。シネコンの台頭で消えていった数々の単館上映の映画館と同様、10年くらい前に閉館した。閉館した当時は階段の下にシャッターが下ろされ、階段の段に沿ってコインロッカーが置かれていた。現在は階段の向こうにエレベーターが設置されているが、その奥には映画館がそのまま残されているのではないかと思うのだ。
その映画館に特別な思い入れがあるわけではない。幼い頃に子供向けの映画を何度か見に行ったくらいだろうか。それでも私は、明かりのつかなくなったその映画館の様子を、ありありと思い描くことが出来る。ワインカラーのビロードの椅子やカーペットに積もったほこりが薄暗い中でどんな風に見えるか、乾いたかび臭い空気、工事の際に置き忘れられた木材がそのままになっているロビー、ほこりやおがくずで白っぽくなった入場券売り場のガラス、はがれかけたポスターなどが、まるでその場にたたずんだことがあるかのように頭に浮かぶ。
その場所を通るたびに私は、ほこりが厚く積もったカーペットを踏むかさりとした感触や、音のない映画館から聞く階上のざわめきのことを考える。決して目にすることのない、都会の真ん中の廃墟。それはまるで深くて暗い穴の底にいるようだ。
そして、そんな風景が足の下にあるのだと思うと、いつもの景色がちょっと、いとしくなるのだ。

※後日映画館の入口だったところをよく見てみたら、階段の先にはドアがあって明かりがついており、どうやら事務室か何かに使われているようだった。だけど私の心の中では、階段の向こうに廃墟の映画館が、確かにあるのだ。あるのだったらあるのだ。