作文こわい

なかなかブログが続かないのは、文章を書くことに対するに根強いコンプレックスがあるからだ。

発端は小学生の時。何も考えずに書いた読書感想文が賞を取った。
「作文がうまい人」と思われているのだと思ったら、それ以降何も書けなくなってしまった。
自分でも「つまんない文だな」と思うのだが、考えれば考えるほど何を書いたらいいのかわからない。作文の授業が本当に苦痛になった。賞を取ったことが長い迷路の始まりになるとは、自意識過剰の子供に自信をつけさせるのは至難の業なのだ。先生たちもよく考えていただきたい。
中学生のとき、開き直って素直に自分の気持ちを伝えればいいのだと思って、当時もっとも衝撃を受けた話を感想文の題材に選んだ。
家にあった古い童話全集に載っていた「子供が逃亡中の犯人をかくまうが、追ってきた警官が居場所を教えたら金時計をやるというのにつられて居場所を教えてしまう。犯人が連れられていった後に事情を知った父親が子供を撃ち殺す」というものだ。
衝撃的だったのはわかるが、感想と言われたって「やりすぎですよ」の一言である。
どんな感想文を書いたのか記憶にないが、先生もさぞかし困惑したと思う。自分の心に素直になるという言葉の意味をはき違えたいい例といえよう。
ちなみにその童話全集には「生まれたばかりの妹にやきもちを焼いてハンストして死ぬ少女の話」なんていうのもあって、そちらも同じくらい衝撃的だったので、どちらを題材にするべきか悩んだのだった。どっちにしたって同じだよと当時の自分に言ってやりたい。あとなんなのその童話全集。
迷路を抜け出せる気配がないまま高校生になった。読書感想文はもはや恐怖である。課題を母に代筆してもらったこともある。嬉々として代筆した母も母だと思う。
大学の卒論では「頭は悪くないのだとわかった」というよくわからない言葉を指導教官からいただいた。日頃の言動によほど問題があったのだろう。そうなってくるともはや文章以前の問題である。
そういえば、自分のレポートはさっぱりなのに、当時の恋人に頼まれて代筆したレポートが、教官から絶賛されたということもあった。となるとやはり問題は文章力ではないのかもしれない。逆に根深い話である。